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黒田泰子

黒田泰子

(経 歴)

平成 6年 四天王寺中学校入学
平成12年 四天王寺高校卒業
平成16年 大阪大学法学部卒業
平成18年 同志社大学法科大学院卒業
平成21年 最高裁判所司法研修所修了
平成21年 大阪市北区の法律事務所にて勤務
平成26年 大阪市天王寺区で『ことのは法律事務所』(http://www.kotonoha-lo.jp/)開業

現在の仕事内容は?

 離婚や相続の問題、労働問題・交通事故の対応など民事事件を中心に幅広く取り組んでいます。
 大阪弁護士会の子どもの権利委員会に所属し、児童虐待への対応に関する事件や調査、その他子どもに関する事件をライフワークとして行っています。
 ご相談者の方と、事件の解決に向けた打ち合わせを行う中で、これまでの人生や大切にされてきた信念をお伺いし、解決方法をご提案して,新しい道に進むお手伝いができることにやりがいを感じています。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

 部活をしたい気持ちが強かったので、自宅から近くて勉強と両立しやすいと考えました。

大学選びから就職までの経緯は?

 高校に進んだ頃くらいから、人の相談に乗ることにやりがいを感じ、漠然と弁護士の仕事にあこがれを持ちました。
 文系クラスの中であまり成績が良くなかったので、高2の文化祭が終わった頃から集中して受験に取り組みました。当初D、E判定しかもらえないような志望校を掲げてしまったのですが、3年間担任をしていただいた先生に日々叱咤激励していただき、寝る間も惜しんで勉強し、後期試験で2番目の志望大学に合格することが出来ました(学校の小論文演習と近いテーマの問題が出たおかげでもあります。)
 大学2年生から司法試験の勉強を始めたのですが、ちょうど大学卒業の年にロースクール制度が始まることがわかり、ロースクールに進学しました。
 司法試験は大学受験以上に厳しいものでしたが、受験から発表まで4ヶ月の空白時間があり、その間にアメリカにホームステイにいくなど、楽しみもありました。高校在学中にみっちり鍛えていただいたおかげか、4年以上英語の学習から離れていた割には意外と会話が出来て、とても感謝しました。

高校・中学での思い出は?

 バトン部に所属していたので、土曜鑑賞や文化祭で和光館の本格的な舞台に立たせていただいたことはすごく良い思い出です。合唱コンクールや、創作ダンスなどクラスで取り組む行事も多く、遅くまで屋上で熱心に練習し、『青春』していたと思います。北海道への修学旅行ではち切れんばかりに食べまくったり、変な写真を撮ってふざけたり、女子校ならではの?弾け方も楽しかったです。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 予習・復習・宿題の他に自分で出題範囲を1週間のうちで計画的に勉強して受ける小テスト(Weekly)があり(再テストも!)、マルチタスクをこなすことを、高校3年間みっちり鍛えられました。
 多数の案件を同時に抱える弁護士の仕事においても、仕事と家庭の両立という面でもマルチタスクをきちんと遂行すること能力を身につけられたことが、とても役に立っています。
 何よりも、優秀な友人がたくさんいる環境であったことに一番感謝しています。
 中高で友人が当たり前のようにハードに勉強している空間だったので、私自身は6年間通じて低空飛行していたのですが、周囲につられて自然と引き上げられ、勉強や受験を楽しむことが出来たと思います。
 最近も、仕事上、医師になった友人に医療過誤の事件で分からないことを教えて貰ったり、理系の友人に交通事故を考えるときに物理の基本的なことを教えて貰ったり、公務員の友人に行政のことを聞いたりと、優秀な友人に囲まれていることでとても助かっています。

後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。

 勉強も部活も行事も、欲張りに楽しめる学校だと思います。尊敬できる一生の友人が得られる大切な時間を目一杯楽しんでください。

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山本佳奈

山本佳奈

1989年 滋賀県生まれ。医師。
私立四天王寺高等学校・四天王寺中学校卒業。
2015年3月、滋賀医科大学卒業、医師免許取得。
同年4月より福島県の南相馬市立総合病院に勤務。
大学時代から、医学博士・上昌広氏の下で貧血を中心に医療全般について研究している。


「人の役に立つ仕事がしたい!」
この気持ちで原発に一番近い病院で女性初の研修医として活躍中です。
貧血を中心に医療全般について研究し、2016年4月光文社新書から
貧血大国日本」を出版。

現在の仕事内容は?

 現在、初期研修医2年目です。南相馬市立総合病院に勤務しています。初期研修医として色々な科をローテートしながら、医師として身につけるべき技量を学んでいます。基本的に、入院患者さんに毎日回診に行き、すべての患者さんのカルテを書き、内服薬を処方したりしています。在宅診療科では、仮設住宅に健康講話をしにお邪魔したり、往診したりもしました。勤務後は、論文を読んだり、医学書やそれ以外の本を読んで勉強しています。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

 四天王寺の制服を着て、通学したいと思ったから。

大学選びから就職までの経緯は?

 高校1年生の夏、担任の先生に「もう少し頑張ったら医学部に行けるよ」と言われ、その頃から白衣を着たいと思い始めて、猛勉強を始めました。ちょうど思春期と重なり、自分の体型を気にするようになり、食事量を制限してしまいました。するとみるみるうちに痩せてしまい、高校2年生の冬に「あなた明日死にます」と医師に言われ、入院することに。計4か月の入院で、すっかり勉強についていけなくなり、案の定受験に失敗しました。予備校に通うも成績は上がらず、どの医学部も最後までD判定でしたが、幸いにも滋賀医科大学に合格。テストに追われながらもなんとか進級しました。6年生の夏、生まれ育った関西を出ようと決意し東京の病院を希望したが、就職活動は失敗。福島県南相馬市にある南相馬市立総合病院がたまたま1枠空いていることを知り、「きっと今行かないと行くチャンスはない」と思い、南相馬に行くことに決めました。

高校・中学での思い出は?

 大阪城ホールで開催される体育祭でのダンスが一番の思い出。あとは、帰宅時に大阪駅の紀伊国屋に立ち寄っては本を選んでいたことも、今となってはいい思い出です。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 挨拶をすること、感謝をすること、努力し続けること

後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。

 生まれ育った土地と違う環境に行くことはとても大切だと思います。慣れない土地は、初めは辛いものですが、生まれ育ったところの良さを再発見することができたり、いろんな文化や空気や考え方があることに気づくことができます。自ら一歩進んでみると、想像もしていなかった出会いや世界が、きっと待ち構えているはずです。たとえ失敗しても、何度でもやり直しは出来るのですから。

  • 山本佳奈
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藤野智子

藤野智子

(所 属)
東京大学大学院 理学系研究科 化学専攻 助教
生物有機化学を専門とし、高機能な人工DNA・RNAの開発を行っている。
これまでに天然核酸に対して高い錯形成能をもち、
天然酵素の基質として機能する新規人工核酸を実現している。

(略 歴)
東京大学 理学部化学科 卒業
東京大学 大学院理学系研究科 化学専攻修士課程 修了
東京大学 大学院理学系研究科 化学専攻博士課程 中途退学
東北大学 博士(理学・論文)取得
東北大学 大学院理学研究科 化学専攻 助教を経て、現在に至る。

(受賞歴)
東京大学 大学院理学系研究科 第一回研究奨励賞
資生堂 第9回女性研究者サイエンスグラント

現在の仕事内容は?

 大学教員をしています。研究内容は人工のDNAやRNAの開発です.新しい機能性を開拓することを目指して日々研究をしています。また、一緒に研究を行っている大学生や大学院生の研究指導も行っています。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

 大学進学実績はもちろんでしたが、何より校風に惹かれました。入学前は、「女子校」での生活を想像しにくいところがありましたが、予想をすっかり上回る自由さ・伸びやかさがありました。

大学選びから就職までの経緯は?

 漠然と研究職につきたいと考えていたので、研究レベルの高さを重視した大学選びを行いました。大学入学後は、化学実験が「料理」みたいで楽しいと感じ、化学専攻に進学することを決めました。研究を開始してからは、世の中にない新しい分子を創り出す有機合成化学にすっかり魅了されたため、その後、アカデミックキャリアをスタートさせました。

高校・中学での思い出は?

 どの先生も一流で授業のレベルが高かったので、授業を受けるのが純粋に面白かったのを憶えています。また、英語暗唱大会、合唱コンクール、創作ダンス発表会などチームやクラスで競い合うイベントが多く、放課後や休み時間に屋上などで練習を重ねたことも楽しい思い出です。高校ではバドミントン部に入って、放課後や長期休暇などは練習に没頭し、充実した毎日を過ごすことができました。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 「メリハリのある生活スタイル」だと思います。部活動を行っていたため、夜は疲れて寝てしまうことが多かったのですが、早起きして授業準備や復習をするなどの工夫をしていました。

後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。

 私は理系選択をしましたが、英語や国語などで学んだことが今でもフル活用されています。受験科目に限定せず、将来のために幅広く学習されるのが良いように思います。

  • 藤野智子
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荒堀仁美

荒堀仁美
(略 歴)
大阪生まれ
大阪大学医学部卒業
大阪大学医学部附属病院、市立池田病院、大阪府立母子保健総合医療センター、
長野県立こども病院での勤務を経て、現在、大阪大学大学院医学系研究科小児科学講師
一児の母として家事、育児、仕事に奮闘中
(資 格)
小児科専門医 小児科指導医
周産期専門医(新生児) 周産期専門医(新生児)指導医
臨床遺伝専門医

現在の仕事内容は?

荒堀仁美

 大学病院では、診療を行う「臨床」、医療の発展に役立つような最先端の「研究」、大学としての「教育」の3つのお仕事をしています。
 臨床では、新生児を専門とする小児科医として働いていて、毎日、かわいい赤ちゃん達の診療を行っています。たくさんの専攻医や研修医の先生がいますので、その指導もしています。
研究では、最先端の技術を用い、臨床の現場で役立つような研究テーマを考えたり、実際に実験したりして、その成果を発表しています。教育では、大学医学部の講義を担当し、教員免許はないものの、学校の先生のようなお仕事もしています。仕事内容はさまざまで、仕事量も多く大変だと思うこともありますが、とてもやりがいのある仕事です。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

関西屈指の進学校であり、自分の夢をかなえるのにはここだと思って入学しました。

大学選びから就職までの経緯は?

 小学生のころから小児科医になりたいという漠然とした夢があり、大学の医学部を目指していました。大阪大学を選んだのは、臨床面でも研究面でも申し分ない大学だったからです。現役合格はできなかったのですが、1年間さらに勉強をして大阪大学に入学でき、本当によかったと思っています。医学部は6年間勉強する必要があり、卒業時に医師国家試験を受けます。合格すれば晴れて医師として働くことができるのですが、当時は今と異なる研修制度でしたので、大学の小児科医局という組織に入って、大学病院での研修をはじめました。研修が修了してからは、小児科の中でも新生児といって生まれたばかりの赤ちゃんを専門に診療する分野を選びました。生まれた瞬間のとても大切な時期に関わる素敵なお仕事です。専門医の資格や指導医の資格もステップアップとして取得しました。結婚、妊娠、出産、子育てとの両立に不安を感じていたのですが、すべて仕事をする上で非常に大切な経験であり、医師としてのキャリアアップになったと考えています。

高校・中学での思い出は?

 とにかく、みんなで仲良く、一生懸命いろいろなことに取り組んだことが印象に残っています。合唱コンクール、文化祭、体育祭での出し物など、勉強も行事もみんなで一緒にできたからこそ、あんなに頑張れたのだと思います。今でも卒業生同士で話をするとき、本当に楽しかったこと、充実していたことなど、たとえ学年が違う人とでもいろいろな話で盛り上がります。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 中学に入学したときは、慣れない電車通学に加えて、勉強量の多さに驚く毎日でした。しかし、それをこなしていくことで、自然と実力が身についていることに気が付きました。試験前など、本当にしんどいなと思うこともありましたが、今でも「あの時にあれだけ頑張れたのだから…」と、仕事をするパワーになっている気がします。

後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。

 中学・高校時代は、あとで振り返ってみると、その後の自分の人生の選択肢を広げる意味で、とても大切な時期になっていたと実感しています。ぜひ、勉強も頑張って、ほかのことも頑張って、いろいろなことに一生懸命取り組んで欲しいと思います。

山本奈緒美

山本奈緒美

現在の仕事内容は?

 現在、ボン市のヨハネス・シュタイナー学校(Johannes Schule freieWaldorfschule e.V.)で主にオイリュトミー(Eurythmy)授業や劇発表でのピアノ伴奏、また、ケルン市にあるパリツカヤ音楽学校(Anna.Palitsukaya Musikschule)で少年少女合唱団のピアノ伴奏・青少年室内アンサンブルでピアノ奏、ケルン日本語補習校の幼児部講師、そのほか個人でピアノレッスン、歌曲やダンスの伴奏・ソロや室内楽の演奏活動などをしております。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

 地元の公立中学校3年のある日、最終的に受験校を決める少し前に、四天王寺高校を受験していた夢を見たことがきっかけになりました。そして結局その夢は正夢になったのです。当時の担任の先生は、将来的に音大に行きたいのならば、四天王寺高校で準備をしたほうが地元の公立高校に行くよりも良いだろうということを話されていました。実際、四天王寺高等学校は、当時から、(音楽ではありませんが)バレーボール、フェンシングなどで表彰される優秀校でした。

大学選びから就職までの経緯は?

 子供のころから、家から通える圏内の音大、大阪音楽大学に行きたいと思っていて、演奏技術だけではなく、ソルフェージュ、聴音、音楽理論など専門の勉強を続けていました。結局、大阪音楽大学短期大学部器楽学科ピアノ専攻科を出て、ヤマハ音楽システム講師として12年間勤めました。
 ヤマハのシステム講師時代に様々なコースの講師経験と並行して、作曲・即興演奏・楽曲アナリーゼ・エレクトーン・ドラム・シンセサイザーなどを次々習い、ジャズ・ポピュラーなど色々なジャンルの音楽に取り組みました。が、もう一度、クラシックピアノを深く勉強したいという渇望が湧き上がり、教授との出会いにも恵まれ、ヤマハの1年間の短期離職制度を利用してフランス留学。1年があっという間に過ぎた頃、更に時間をかけて学ぶ決意をし、休職していたヤマハ音楽振興会を退職。その後さらに4年間、パリでピアノと室内楽を学びました。ピアノ教授ディプロムと室内楽の高等ディプロムを得、国際コンクールにも参加。その後ドイツに移住しました。

高校・中学での思い出は?

 創作ダンス発表のために、グループであれこれ振付を考えて練習をしたこと、また、合唱の発表のために練習をしたこと、授業内容が面白く、休むのが嫌で少々の風邪でも登校したこと、体育祭の仮装行進で男装をしたこと、食べ物を提供した文化祭、毎日の般若心経と仏教の教え、正座がきつかったけれど生涯忘れることのできない思い出になった高校3年生の授戒灌頂などたくさんあります。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 学校時代は色々な友達と出会います。人の中では学ぶことが沢山。人間の学びです。
友達同士で夢を語り合い、刺激を受け、落ち込んだことがあっても励ましあいました。私は友達に非常に恵まれていたと思います。それぞれの道に進んでいっても、本当に良い友人たちに出会えたことが人生の宝になっています。

後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。

 たくさんの可能性を秘めた将来を担う皆さん!四天王寺高等学校・四天王寺中学校は、伝統のある素晴らしい学校です。中学・高校時代はきっとあっという間だと思います。勉強に、スポーツに、励んでください。皆さんはまもなく夢に向かって大きく羽ばたいて行かれますね。皆さんの人生の絵はどのようになるのでしょう。起こることは何事も必然で、その人にとって意味のあることです。人生山あり谷ありといいますが、しかし、皆さん、何があっても大丈夫。その人が乗り越えられないことは起こらないそうです。どうか、かけがえのない『今』という時間を生きてください。皆さんが素敵な女性へと成長されますようにお祈りいたします。

  • 山本奈緒美
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池内淳子

池内淳子
(略 歴)
 大阪生まれ
 大阪市立大学工学部建築学科卒業
 大阪市立大学大学院工学研究科建築学専攻前期博士課程 修了
 (株)ニュージェック建築構造部 勤務
 大阪市立大学大学院工学研究科建築学専攻後期博士課程 修了
 (国)防災科学技術研究所 地震防災フロンティア研究センター 研究員
 [現在] 摂南大学理工学部建築学科 教授
     二児の母として家事、育児、仕事に奮闘中
(活 動)
 独立行政法人 防災科学技術研究所・客員研究員(2009.10-2011.3)
 国立大学法人富山大学大学院・医学薬学研究部(医学)・非常勤講師(2012-)
 関西ライフライン研究会 幹事
 日本風工学会風災害研究会
 枚方市防災会議委員
(学会所属)
 日本建築学会、日本風工学会、地域安全学会、日本集団災害医学会
(資 格)
 博士(工学)、一級建築士、ファシリティマネージャー資格、
 高等学校教諭専修免許(工業)

 ※その他活動は、研究室HPをご覧ください
 http://www.setsunan.ac.jp/~ikeuchi/lab/works.html

現在の仕事内容は?

 大学の教員(建築学科)をしています。授業では、主に建築構造力学や構造実験を担当しています。建築というと、“美しいデザイン”が注目される傾向にありますが、地震や強風などから人命・財産を守るための安全性も重要であり、建築の構造設計に関わる基本的な考え方を教えています。研究では建築防災を専門とし、建物の強さだけでなく、避難のしやすさ、災害時の建物の使い方などについても研究しています。特に、大地震後の病院がいかに被災者の暮らしを支えているか・・・を知ってからは、地震が発生すると、被災地の病院を支援する活動を行っています。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

 国語と算数のみの2科目受験が可能だったためです(笑)。受験勉強開始が遅かったので理科や社会まで間に合わず。家から近くて、2科目受験できるところを選びました。あまり褒められた理由ではありませんが、合格通知をもらった時は本当にうれしかったですし、制服の採寸時に「この学校に通うんだな」と誇らしく思ったことは今でも覚えています。また、6年間、お寺の季節の移り変わりとともに過ごしたことは、今になってとてもよかったと思っています。

大学選びから就職までの経緯は?

 建築学科を選んだのは完全に消去法です(笑)。文系科目が不得意だったため。理系学部の内、医療系に進む勇気はなく、農学部や理学部は、当時、今ほど学部の情報もなく、よくわからない。工学部の中では、土木学科に興味はあったけれど、女子の少なさに選択する勇気が出ず。6年間、女子校なので家政系への選択もなく。こちらも褒められたものではありませんね(笑)。ただ、建築に進んだことを大学で後悔したことはありませんし、大学院にも勉強したくて進学しました。また、一級建築士事務所に就職してからは建築の奥深さと社会的責任の大きさに身が引き締まりました。今でも“建築”が大好きですし、“もっと建築をよくしたい”という思いは人一倍強いと思います。

高校・中学での思い出は?

 合唱コンクール、文化祭、体育祭、創作ダンス発表会、修学旅行・・・。とにかく学校行事ごとに全力投球していたように思います。勉強については、一生懸命頑張る友人たちに比べると、どこか最後まで頑張りきれない自分に歯がゆさを感じ、それなりに自己嫌悪感を抱えていたように記憶しています。でも、なぜか行事ごとは「すべて仕切る」(笑)。特に、高校3年生の体育祭での仮装コンテストで蛇踊りをしたのはよく覚えています。発泡スチロールの塊を購入して竜の頭を作り、布とプラスチックケースを合わせて胴体を作り、竹で操作する部分を作る。みんな受験生だったはずですが、なぜか全員で燃えていました(なぜだろう・・・?)。あの頃のことは今でも語り草になっています。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 一言で、「女性が生きていくための素養すべて」だと思います。たくさん勉強しました(させられた?)けれど、それは一種、生きていくために必要な、しかも重要な訓練でもあったと思います。私は運動が不得意だし、四天王寺高等学校・四天王寺中学校の中では成績も決してよくはなかったですけど(笑)、勉強に関してもそれ以外に関しても、「頑張ったよな」と思う経験をたくさんさせていただきました。大人になれば、「やるべきことはやる」、「やりきるためにはどうするか考える」、「できない時はきちんと他者に相談する」が必要だと思います。また、そのためには「迷ったら他者に素直に相談できる自分でいる」、「相談できるような相手(家族・友人・先生)を大事にする」が重要。中学校・高校時代は、自分の事以外に責任は発生しませんが、これら生きるために必要な素養は、すべて四天王寺高等学校・四天王寺中学校で得た“等身大の成功体験”から自然と身についたと思います。
 あと1つ。女子校なので学校内では“一切男性を意識しない”こともよかったかもしれません。卒業すれば誰もが立派な女性。間違いなく美しいお嬢さんです(私も友人たちもそうでした)。一方で、女性である自分は認識したまま、頭のどこかで「一人の人間として判断する」癖が身についているのもよかったかもしれません。

後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。

 皆さんの将来は、とても明るくキラキラと輝いているものになります。「私はそうなれるのだろうか?」と思っている皆さんも、心配ありません。きっとそうなります。社会は一人の優れた人で成り立っているわけではありません。一人一人が得意分野を生かすことでようやく日本という国も世界も成り立つと私は思います。大人になって、どうしても不得意なことがあるなら(私もあります)、そこは70点くらいで十分。満点を狙える人にお任せして支える側に回りましょう。しかし、自分が満点を狙える得意な場面がきたら…。必ず満点をねらって挑戦してください。得意なことで頑張る事はそんなに難しいことではないはずです。そうすることで、皆さんの将来が明るく輝くのではないかと思います。
あっ。だからといって「数学は苦手だから70点でいいんだ!」はダメですよ。高校までの勉強は、皆さんがどの分野に進むとしても生きていくための基礎事項です。すべての科目において、前向きに理解を深める姿勢を忘れずにいてください。

  • 池内淳子