「帰依渇仰 断悪修善 速証無上大菩提処」
聖徳太子は、推古元年(西暦593年)に四天王寺を創建し、敬田院(きょうでんいん)とされました。その設立の精神は「帰依渇仰(きえかつごう) 断悪修善(だんなくしゅぜん) 速証無上大菩提処(そくしょうむじょうだいぼだいしょ)」であり、それは、全ての生きとし生けるものが、仏教に帰依し、深く信じ、悪を断ち、善を修め、速やかに仏の悟りを得て、その境地に達することのできる場所を意味します。また、敬田院と同時に、国家の基礎であり、仏教の重要な教えである慈悲行の実践の場所として、施薬院(せやくいん)・療病院(りょうびょういん)・悲田院(ひでんいん)を設立して四箇院(しかいん)とされました。敬田院で研鑽を積んだ人材が、他の三院の運営に関わり、平和で人々が幸せに暮らせる国づくりに尽力しました。その敬田院の精神を建学の精神として、大正11年(西暦1922年)に聖徳太子1300年御忌記念を機として、学校法人 四天王寺学園は創立されました。
創立以後、聖徳太子のご偉業の中から、三経義疏(勝鬘経義疏・維摩経義疏・法華経義疏)を撰述されたことを受け、特に勝鬘夫人・維摩居士を範とした教育を打ち出し、また聖徳太子が制定された十七条憲法に準拠して学園訓を制定しました。十七条憲法の第一条「和を以て貴しとなす」に象徴される「和の精神」により、道徳観・倫理観を涵養し、勉学・スポーツ等において自己を徹底して磨く教育を実践してきました。社会には時代ごとに国内外を問わずあらゆる課題が存在しますが、その課題解決のために、利他の心を起こし、磨き上げた自己の知識・技能をもって、人々に寄り添える人材を育成することが本学園の使命であります。
四天王寺学園は、聖徳太子が帰依された仏教の精神を建学の精神としています。聖徳太子は、四天王寺(敬田院)を創建された際に、同時に施薬院、療病院、悲田院を設置し、四箇院とされ、それらは、現在でいうところの寺院、学校、薬局、病院、社会福祉施設の機能を備えていました。当時、薬が無い、怪我や病気を治す場所が無い、困窮などで苦しむ人を支える場所が無いという社会問題があり、四箇院は、それらを解決するための事業となりました。寺院である敬田院で人材を育成し、他の三院において、仏教の重要な教えである慈悲行を実践することにより、人々の苦しみを取り除き、安楽を与え、聖徳太子が希求された、人々が平和で幸せに暮らせる国創りの一翼を担いました。
1400 年以上経た現在でも、様々な社会問題が存在します。聖徳太子の「想い」、敬田院の事業を受け継いだ本学園は、仏教教育により、生徒(児童)に、互いの個性を尊重しつつ、調和できる「和の精神」、自身を利するとともに他者をも利する「利他の精神」を涵養し、人格を高めることを目指しています。また、授業や行事などの教育活動を通じて、高い志を持ち、高度な知識・技能を身につけ、社会問題の解決に貢献できる人材を育成しています。
現在、国内では、経済の停滞や格差の拡大、少子高齢化とそれに伴う労働人口の減少、科学技術の急激な進展による弊害など、国外では、戦争・紛争、貧困など、また国内外を問わず、人種差別、性差別、資源の枯渇、温暖化などの気候変動、食糧危機など様々な社会問題が存在します。
生徒(児童)の皆さんが社会に出られた時にはどのような社会になっているのでしょう。
どのような社会問題があるのでしょう。
どのようなことで困っている人がいるのでしょう。
今後も四天王寺学園は、予測のつかない未来社会を見据え、その社会に適応するための「力」をつけ、困っている人に寄り添い、社会問題に気づき、周りの人々と協力・協調しながら、その解決策を創造し、最後までやり抜く人材を育成・輩出してまいります。是非、聖徳太子の「想い」を受け継いで頂ける生徒の皆様のご入学をお待ちしています。
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