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池内淳子

池内淳子
(略 歴)
 大阪生まれ
 大阪市立大学工学部建築学科卒業
 大阪市立大学大学院工学研究科建築学専攻前期博士課程 修了
 (株)ニュージェック建築構造部 勤務
 大阪市立大学大学院工学研究科建築学専攻後期博士課程 修了
 (国)防災科学技術研究所 地震防災フロンティア研究センター 研究員
 [現在] 摂南大学理工学部建築学科 教授
     二児の母として家事、育児、仕事に奮闘中
(活 動)
 独立行政法人 防災科学技術研究所・客員研究員(2009.10-2011.3)
 国立大学法人富山大学大学院・医学薬学研究部(医学)・非常勤講師(2012-)
 関西ライフライン研究会 幹事
 日本風工学会風災害研究会
 枚方市防災会議委員
(学会所属)
 日本建築学会、日本風工学会、地域安全学会、日本集団災害医学会
(資 格)
 博士(工学)、一級建築士、ファシリティマネージャー資格、
 高等学校教諭専修免許(工業)

 ※その他活動は、研究室HPをご覧ください
 http://www.setsunan.ac.jp/~ikeuchi/lab/works.html

現在の仕事内容は?

 大学の教員(建築学科)をしています。授業では、主に建築構造力学や構造実験を担当しています。建築というと、“美しいデザイン”が注目される傾向にありますが、地震や強風などから人命・財産を守るための安全性も重要であり、建築の構造設計に関わる基本的な考え方を教えています。研究では建築防災を専門とし、建物の強さだけでなく、避難のしやすさ、災害時の建物の使い方などについても研究しています。特に、大地震後の病院がいかに被災者の暮らしを支えているか・・・を知ってからは、地震が発生すると、被災地の病院を支援する活動を行っています。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

 国語と算数のみの2科目受験が可能だったためです(笑)。受験勉強開始が遅かったので理科や社会まで間に合わず。家から近くて、2科目受験できるところを選びました。あまり褒められた理由ではありませんが、合格通知をもらった時は本当にうれしかったですし、制服の採寸時に「この学校に通うんだな」と誇らしく思ったことは今でも覚えています。また、6年間、お寺の季節の移り変わりとともに過ごしたことは、今になってとてもよかったと思っています。

大学選びから就職までの経緯は?

 建築学科を選んだのは完全に消去法です(笑)。文系科目が不得意だったため。理系学部の内、医療系に進む勇気はなく、農学部や理学部は、当時、今ほど学部の情報もなく、よくわからない。工学部の中では、土木学科に興味はあったけれど、女子の少なさに選択する勇気が出ず。6年間、女子校なので家政系への選択もなく。こちらも褒められたものではありませんね(笑)。ただ、建築に進んだことを大学で後悔したことはありませんし、大学院にも勉強したくて進学しました。また、一級建築士事務所に就職してからは建築の奥深さと社会的責任の大きさに身が引き締まりました。今でも“建築”が大好きですし、“もっと建築をよくしたい”という思いは人一倍強いと思います。

高校・中学での思い出は?

 合唱コンクール、文化祭、体育祭、創作ダンス発表会、修学旅行・・・。とにかく学校行事ごとに全力投球していたように思います。勉強については、一生懸命頑張る友人たちに比べると、どこか最後まで頑張りきれない自分に歯がゆさを感じ、それなりに自己嫌悪感を抱えていたように記憶しています。でも、なぜか行事ごとは「すべて仕切る」(笑)。特に、高校3年生の体育祭での仮装コンテストで蛇踊りをしたのはよく覚えています。発泡スチロールの塊を購入して竜の頭を作り、布とプラスチックケースを合わせて胴体を作り、竹で操作する部分を作る。みんな受験生だったはずですが、なぜか全員で燃えていました(なぜだろう・・・?)。あの頃のことは今でも語り草になっています。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 一言で、「女性が生きていくための素養すべて」だと思います。たくさん勉強しました(させられた?)けれど、それは一種、生きていくために必要な、しかも重要な訓練でもあったと思います。私は運動が不得意だし、四天王寺高等学校・四天王寺中学校の中では成績も決してよくはなかったですけど(笑)、勉強に関してもそれ以外に関しても、「頑張ったよな」と思う経験をたくさんさせていただきました。大人になれば、「やるべきことはやる」、「やりきるためにはどうするか考える」、「できない時はきちんと他者に相談する」が必要だと思います。また、そのためには「迷ったら他者に素直に相談できる自分でいる」、「相談できるような相手(家族・友人・先生)を大事にする」が重要。中学校・高校時代は、自分の事以外に責任は発生しませんが、これら生きるために必要な素養は、すべて四天王寺高等学校・四天王寺中学校で得た“等身大の成功体験”から自然と身についたと思います。
 あと1つ。女子校なので学校内では“一切男性を意識しない”こともよかったかもしれません。卒業すれば誰もが立派な女性。間違いなく美しいお嬢さんです(私も友人たちもそうでした)。一方で、女性である自分は認識したまま、頭のどこかで「一人の人間として判断する」癖が身についているのもよかったかもしれません。

後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。

 皆さんの将来は、とても明るくキラキラと輝いているものになります。「私はそうなれるのだろうか?」と思っている皆さんも、心配ありません。きっとそうなります。社会は一人の優れた人で成り立っているわけではありません。一人一人が得意分野を生かすことでようやく日本という国も世界も成り立つと私は思います。大人になって、どうしても不得意なことがあるなら(私もあります)、そこは70点くらいで十分。満点を狙える人にお任せして支える側に回りましょう。しかし、自分が満点を狙える得意な場面がきたら…。必ず満点をねらって挑戦してください。得意なことで頑張る事はそんなに難しいことではないはずです。そうすることで、皆さんの将来が明るく輝くのではないかと思います。
あっ。だからといって「数学は苦手だから70点でいいんだ!」はダメですよ。高校までの勉強は、皆さんがどの分野に進むとしても生きていくための基礎事項です。すべての科目において、前向きに理解を深める姿勢を忘れずにいてください。

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